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公職研月刊「地方自治職員研修」成熟社会の新・市民参加論-分権時代の住民自治を求めて

 

合併間近の村で・・・異文化交流から芽吹いた地域づくり

美麻村・国際交流ボランティアネットワークの活動とその先

美麻メンドシーノ交流ボランティア 美麻地域づくりミーティング 前川浩一

●国際交流

長野県美麻村は1300人ほどの山間小農村で、積雪が多く、森林が村の大半を占め主だった産業はなく、明治以来全く市町村合併をしなかった村である。昭和30年代以降、人口減少に悩んだ村は、定住政策として村営住宅を建て、宅地の造成、分譲をし、県外移住者(アイターン者)を積極的に誘致した。その結果、現在は人口の25%ほどをアイターン移住者が占めている。また市民農園という菜園付き別荘(クライデルガルテン)も建設され、都市住民が2地点居住の場として利用し始めている。

美麻村では、アメリカ合衆国カリフォルニア州メンドシーノ郡メンドシーノ村と1980年に姉妹村締結をした。きっかけは、メンドシーノの版画家ウイリアム・ザッカ氏と美麻の版画家吉田遠志氏の交流である。姉妹都市締結後しばらくは個人的レベルの訪問交流であった。1990年に当時の中村村長など3名が公式訪問。次の吉沢村長も交流を継続推進、1992年メンドシーノで野球の交流試合をするということで村の小学校5.6年生31名の訪問団を送った。翌年メンドシーノより美麻村への訪問団34名が来村。それ以来1年ごとに相互交流が行われている。美麻村からは、当初中学生が訪問交流には最適と思われたが多忙なカリキュラムのため断念。小学5.6年生全員が隔年ごとの訪問をしている。交流事業の運営のために「メンドシーノ交流実行委員会」を立ち上げ、その構成は、村長を実行委員長、学校長と村議会議長を副実行委員長として、委員は、行政、議会、学校、PTA、交流支援者(訪問経験者)、ボランティアネットワークから成り立つ。近年は小中学校が同じ建物の中にある美麻村の特色を生かし、事前教育として中学英語教師が小学生に英語教育も行う。順応性の高い小学生の交流は、スポーツや様々な遊び、特にアニメやゲームを通してお互いに打ち解けやすい。子供達の交流を通じての成長ぶりは訪問記からも読みとれる。

●国際交流ボランティアの誕生

異文化に接することが少ないこの様な地域で、当初住民に十分な理解と参加を得ることは難しかったと思われる。1993年のメンドシーノからの訪問団が初めて来村の際、ホームステイの受け入れ先は行政職員の家庭が中心であった。全く経験のない外国人のホームステイ受け入れには、多くの住民には抵抗があったと思われる(この年アイターン移住したばかりの我が家も、ホストファミリーが足りないかもしれないと依頼を受け、初めて受け入れた)。そのような状況の中、1993年アイターン移住者である吉田裕一氏が国際交流に賛同し、「車座」という交流情報誌を仲間と発刊し始める。交流事業の手伝いをできる範囲で行おうと、1995年村の有志十数名が集まり「美麻メンドシーノ交流ボランティアネットワーク」が立ち上がった。当時行政のやり方に批判的だった私も、吉田氏の「行政がやることでも良いことは継続できるように協力するべき、地元住民とアイターン者が一緒に行動して理解しあうよいチャンス」という呼びかけに賛同した。ボランティアネットワークでは、会員内外から活動のための賛助金を募り、当初は訪問時のホスト、通訳、ガイド、滞在中の食事作りなどの活動から始まった。そして交流実行委員会のなかにボランティアネットワークも加わった。その後、交流ごとの実行委員会での反省会を踏まえ、少しずつ交流のやり方を改善し、例えば歓迎会の食事作りをボランティアスタッフの持ち寄りとすることで食事の充実とともに経費を大幅削減するなど成果をあげ、ますます行政から頼られる場面が多くなっていく。現在は滞在・訪問スケジュールの提案、交渉、ホームステイ先の割り振り、訪問団の随行、学校での事前授業、父兄説明会でのメンドシーノの紹介などを行うまでになった。交流の反省会や報告会、事業継続への勉強会を行ったりもする。近年ボランティアの有志で、ネパールの子供達の支援を行う活動も始まり、それが縁でネパール人のNGOスタッフが美麻の小学校で授業を行い、その内容に触発された生徒達が支援活動を始めた事例もある。現在のボランティアネットワークは、15名ほどで活動している。

●ボランティアネットワークと行政との関係

そもそも英会話が堪能な職員がいなかったので、通訳やガイド、電子メールを活用した様々な交渉を行政に代わって行うことから始まった。その活動が評価され、徐々に実行委員会の中で存在感を高め、意見を中心的に述べるようになる。メンドシーノ側もボランティア組織が交流を支えており、お互いボランティア同士の交流が直接行われ、信頼感も深まっている。行政や学校関係者が23年で移動し、その都度担当職員が替わるので、実行委員会の中で継続的にこの事業に携わることができるのがボランティアネットワークの強みであり、交流時のさまざまなアドバイザー役として重要な役割を担っていると言えるだろう。新しい活動としては、2003年には美麻村の高校生一人がメンドシーノへ、2004年にはメンドシーノの高校生一人が美麻村へそれぞれ1年間の留学を行い、ボランティアネットワークが主にバックアップをした。また県の補助金を得て交流の人材育成のための英会話教室も主催している。

     教育効果とネットワーク

交流事業は主に教育や文化面に影響を与えるものであり、成果を直ちに示すことは難しい。しかし、美麻の学校教育に大きな特色を持たせる上でこの事業が果たす役割は重要で、語学への関心を高めるばかりでなく、何事にも物怖じしない精神的にたくましい子供達を育成するなど、この事業が子供たちにもたらす教育効果は大きい。また、過疎の村においては、良い学校があるというだけで子育て世代の定住促進にもなり、地域づくりに関して貢献度は大きい。高校の教師からも美麻出身の生徒が外国人教師へ物怖じをせず、英語に高い関心を示していることにも交流事業の成果が表れているとの評価がある。子供達が交流で身につけた自信と地域への誇りは重要で、進路を選択する際や社会に出てからの子供達の人生にも良い影響があると聞いている。そして特筆したいことは、この村において国際交流が若人から年配者までをつなぐ、ボランティア活動の拠点となり、住民と行政との協働の実践の場となっていることだ。多くの自治体で行われているいわゆる「行政主導の国際交流」よりも、美麻村における国際交流は意義深いものであり、今後も地域づくりに果たす役割は大きいと考えられる。またその他に、メンドシーノ村がアメリカでのインターネット普及のモデル地区であったことから、美麻村でもそれに関心を持ち、国の事業を誘致し情報センターを建設、2002年全戸CATVを導入、契約すれば高速でインターネットもできるようになった。実際、訪問交流の前後にホームステイを行う多くの家庭が電子メールによる情報交換を行っている。

●地域づくりミーティングへの旋回

国が推し進める市町村合併の影響は、美麻村においても例外ではなく、隣接する大町市・八坂村との合併協議が始まる当初、一部の住民から起こった合併反対の動きは、合併の是非を問う住民投票条例の制定を議会に求めるほどの大問題になった。この様な状況の中で住民と住民、住民と行政、住民と議会との激しい対立が起こった。美しい小さい村に魅力を感じ移住してきたがゆえに合併に反対であった私は、当時対立の中でどうしようもない行き詰まり状態を感じた。合併に疑問を持つ人の中には、美麻村が好きで移住してきたアイターン者が多くいた。合併を推進を望む人の中には、「アイターン者はよそ者で村の歴史を理解していない、反対するのは無責任だ」として批判し、「合併しなければ村は行き詰り、国際交流も継続できなくなる」と主張した。そんな中、行政職員は住民に対し何も言わなくなり、議員の中にも住民の批判をする者が出て、普段仲間として地域の活動でともに行動してきた村民同士でさえ懐疑的になり、新市に向けて取り組もうとする住民減少に、不安を感じた。そんな折、私達の子供達も学校で合併問題を話し合い、「美麻村がなくなり、美麻の学校がなくなるのはいやだ」とクラスで合併反対の決議をしたと聞いた。私はよそ者でも私の子供達は違う、この美麻で生まれ育って本当に美麻が好きなのだ。この時、これからこの地域を担い、子供達に引き継いでいかなければならない大人として、私はどう行動して良いのか悩んだ。そのような時、村主催の合併問題の講演会で、たまたま私の母校関西学院大学の小西砂千夫教授の講演会を聞き、久しぶりのコテコテの大阪弁の心地よさを感じつつ「合併をチャンスに考える」という前向きな考え方にこころを動かされた。その後、「このまま合併に進んでは何も生まれない、合併賛成反対よりも今後の村の地域づくりを優先して考えるべきだ」と別の講演会で主張し、賛同する住民、職員、議員が現れた。その後、合併への方向が明確になり、交流事業の今後に不安が感じられるようになって、ボランティアネットワークでも今後の交流について真剣に話し合った。その中で、合併後の地域振興を考えるときには、国際交流だけでなく、地域に関することをもっと広く考える必要があると感じ、ボランティアネットワークの有志により“まちづくり”や“住民自治”をテーマに“地域づくり”の勉強会の立ち上げが提案された。また、同じころ村の若手職員の中でも同様に合併への危機感を持つものが現れ、勉強会を立ち上げることになり、この両者が合同で勉強会を立ち上げる構想が持ち上がった。住民と職員がともに行動を起こすことには、行政幹部の理解を得ることが必要であり当初苦労した。しかし、その必要性を説明し納得され、「美麻地域づくりミーティング」が発足した。会の立ち上げ後、ボランティアグループ外の住民、職員、議員などが数名参加。10名余りの参加者でスタートした。

●合併後の厳しい現実

国際交流事業は、新市においても「継続する」と合併協議で決められている。しかし、美麻村では役場や議会がなくなることから実行委員会の再編がまず必要となる。また、事業の位置づけや制度的裏づけも再考しなければならない。村のローカル・ルールの中で進められてきた事業は、新市になってその扱いが非常に難しい。大きい市の一部地域だけの交流事業が理解され今後も認められるのか大問題である。補助金の問題や学校職員が授業の一環として参加できていない問題、従来のように総合学習としての扱いが難しいと思われる問題などである。この点は、合併先の大町市だけでなく県の教育委員会の理解も必要である。運動会や公民館行事など、この村では地域づくりや社会教育など、何もかも行政が主導で職員が企画準備してきた。今、財政難から国が合併を推進し、経済効率ばかり求められようとしている。合併すれば何とかなると夢のような話で進められてきた合併であるが、合併後の厳しい現実が見えてきて、これまで行政主導でやってきた多くのことを地域でどうやって今後支えていけるのか、真剣に考えなければいけない時期になった。すなわち住民自治へむけた意識改革がまず必要になる。

●「美麻地域づくりミーティング」の活動内容

「美麻地域づくりミーティング」では、まず合併後継続すべき村の事業を挙げ話し合った。また今後どのように村民に問題提起するのか考えた。これまでに関西学院大学小西砂千夫教授、酪農学園大学河合博司教授、江戸川大学鈴木輝隆助教授(現教授)などの講演、勉強会を開き、新潟県高柳町(現柏崎市)、長野市松代町のNPO法人などを先生方から紹介され視察訪問した。また小西教授や村長と私が住民自治の重要性について懇談も行った。これらは村のCATVで放送され、地元紙でも記事となった。講演会や勉強会は有料とし、講師にボランティアでの参加をお願いして、3市村の理事者、議員、職員にも参加してもらった。視察では、協働の位置付けを明確にさせるため、職員の視察研修に住民が費用負担して参加する形を取った。こうした活動により、合併での問題点と住民自治に関するメンバーの理解が進み、合併をチャンスとして捉え、住民自治の推進のために継続的にできることをしようという考え方が生まれた。現在、村では地域自治組織設立準備委員会が組織され、合併後の住民自治について村の各団体代表とともに学び議論し始めている。そこにも地域づくりミーティングの活動が縁で国土交通省の地域アドバイザー事業の採択を受けて、鈴木教授とニセコ町片山健也町民学習課長による地域自治組織設立へのアドバイスが行われている。また国土交通省は、交流の現状を評価し、美麻村の異質文化交流と2地域居住に関する調査も始め、私たちが取材を受けた。国際交流では、地域づくりミーティングの提案で教育委員会が全村民対象のアンケートを実施し村民の事業への評価を行い、またボランティアネットワークの提案により2005年の交流ではじめてホストファミリーを大町市民にも求めるとともに、大町市での交流も組み入れ、交流の理解促進を図った。

     信頼関係とまちづくり

かつて、行政に対し常にはっきり面と向かって意見の言う私が、恐ろしい存在だった(私としては驚きだが)と聞かされたことがあるが、私がこのような活動を通じ感じたことは、協働のまちづくりには住民と職員の相互理解と信頼関係が非常に大切で、それには片山課長のニセコ町のように、徹底した情報公開が必要であり、また職員の資質向上への努力も重要だということである。合併問題においても、もっとお互いの信頼関係があり徹底した議論に基づき進んでいたならば、あれほどの辛い対立は回避できたと思う。。地域の発展を考えるとき、吸収合併される二村域だけでなく旧大町市域自体も合併を機に前向きなまちづくりへの取り組みが必要である。そして合併による新市全体の均一化で失われやすい地域特有の事業、地域の特色もいかに評価し今後に発展させていくかが、新市の重い責任だと思う。地域の事業には県や国などの外部評価の必要性も強く感じ、理解と同時に制度面や資金面での援助も合併を進めてきた当事者の責任である。美麻村の国際交流事業でいえば、編入合併先の大町市との十分な相互理解が必要で、住民やPTAなどがその必要性について信念を持って発言し、同時に行政職員が専門的に制度的裏付けを考えることが重要であり、合併推進を唱えてきた行政や議員には新市の将来設計に対して“言うことは言う”毅然とした態度も必要である。私は教育や文化が将来その地域を担う人材育成という意味でも、また“まちづくり”にも大変重要であると考えている。勉強会で私達がたどり着いた“住民自治”や“協働”の考え方は、美麻村ではまだ始まったばかりで、合併しても地域が元気であるように美麻の“住民自治に魂を込める”活動を今後も続けたいと思う。